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コラム
Colum
厩戸
桜花賞は阪神競馬場1600mで、菊花賞は京都競馬場3000mで行われている。このふたつのG1競走には外枠不利という難点を抱えている。ちょっと詳しいファンなら、スタートしてから2ハロン目が最もペースが速いのは知っているだろう。桜花賞にしても菊花賞にしてもこの2ハロン目がカーブとなり数々の悲劇を産んでいる。桜花賞の場合、外枠の馬は遅れないようにとペースを上げる、内枠の馬は包まれないようにとダッシュする、真ん中枠の馬は挟まれないようにとダッシュする。こうしてあの「魔の桜花賞ペース」という速い流れができるのである。外枠に入った人気馬がどれだけ泣かされたことか。菊花賞は長距離戦だけに桜花賞程の不利はない。しかし、スタートしてすぐカーブ、そして坂を下るので、馬に勢いがついて引っ掛かることが多い。レース経験の浅い3歳馬の場合、その傾向に拍車がかかる。1987年のメリーナイス、1999年のアドマイヤベガ、2001年のジャングルポケットなど、折り合いの難しい馬が外枠に入ったために、実力が発揮できずに消えた。
競馬評論家の故大川慶二郎氏は桜花賞を京都で、菊花賞を阪神で開催すること提案していた。確かにそのようにすれば枠による不利は解消されるだろう。しかしG1競走は毎年決まった時期と場所で行うのが原則であり、3歳クラシックとして長い伝統を誇る桜花賞や菊花賞の開催場所を変更することは、例えば高校野球を甲子園球場以外で開催するようなもので、非常に違和感を感じるだけでなく、過去の優勝馬との比較も難しくなる。現実に過去桜花賞は京都で3回、菊花賞は阪神で1回代替開催されているが、桜花賞はともかく阪神の菊花賞はやはり重厚さに欠ける。
ところで阪神は外回りコースが開設されることが発表され、桜花賞と阪神JFに関してはこの外枠不利の問題は解消されることとなった。1600mは今後重要性を増すことは間違いないので、JRAのこの改修に関する姿勢は評価したい。
問題は京都の菊花賞である。阪神のように外回りコースを設けることはできなくないものの、3000mという世界の主流から外れた距離のために、多大な費用をかけるのは無駄である。天皇賞と同じ3200mに延長すれば、枠順の不利はほぼ解消するが、過去の菊花賞との記録の比較ができない、あるいは天皇賞と年齢以外は同条件では、権威が損なわれると考える人もいるだろう。
現状コースで外枠不利を解消するには、1周目を内回り、2周目を外回りにすることだろう。京都の内回りは外回りに比べて約100m短い。つまりスタートラインを現状よりも100mほど2コーナー寄りに下げることが可能である。しかしながら内回りは3コーナーへの曲がり始めがはやいので、100m直線部分が長くなるわけではない。けれどもコーナーは外回りに比べて緩やかであり、4コーナーに向かっての下り坂も緩やかだ。スタート後2ハロン目で引っかかる馬が続出して乱ペースを演出する現状の外回り2回に比べて改善を期待できる。かつて京都の3000mはこの内外コースだった。昭和19年、能力検定競走として行われた菊花賞では、内内コースに変更されたことを知らずに、騎手たちが従来通り内外コースを走ってしまい、競走不成立となったことがある。筆者は現状の外外コースがいつから使われいるのか知らないが、内外コースはおそらくこの一件以来使われていないのではないだろうか。もしそうだとしたら、現在は昔に比べて設備も整い、騎手がコースを間違えるとは考えにくいから、菊花賞で実力馬が本来の実力を発揮できるように、JRAに対してコース変更を要望したい。
2005年2月16日筆
JRAにおいて近い将来、天皇賞・春を現状の3200mから2400mに距離短縮することを検討し始めた。筆者の結論は条件付きで2400mへの距離変更を認めるということである。
JRAではその理由として、競馬の国際化が進む中で3200mという距離は近年のスピード重視の傾向から明らかに外れていること、関係者も尻込みすることが多くなり出走頭数も減少し馬券売り上げに影響が出ているとしている。東京での秋季開催は1984年に2000mに距離変更後、マイラー、中距離、長距離の一流馬がぶつかる舞台として盛り上がっていることも理由のひとつであろう。
しかし、この距離変更には反対意見も多い。2度の坂越えがある京都コースでの天皇賞こそその名に相応しいというロマン派、歴代勝ち馬を春と秋を比較すれば断然春の方が多く名馬の能力検定としてはこの距離の方が相応しいという理論派、距離短縮は外国産馬の台頭を許し日本の生産界は破滅してしまうという悲観派、出走頭数は減っているが売上は秋と比べても遜色ないという現実派といった意見である。
確かに歴代勝ち馬は名馬揃いだが、これは開催時期に負うところが多いと思われる。つまり4歳春の段階では、3歳の実績馬が順当に勝つが、秋になると成長した馬が台頭して波乱になるのである。これは春秋とも3200mで行われていた頃からそうであった。京都コースが東京と比べて直線に坂がなく逆転の余地が少ないという差があるものの、この3200mという距離が名馬を作り出しているわけではなさそうだ。おそらく距離を2400mにしても例年と同様に有力馬が順当に勝つ平穏な結果に終わるだろう。京都の2400mは京都大賞典や日経新春杯が行われている。これらはG2ではあるがやはり実績馬が強い。東京2000mのように外枠不利という条件もない。坂越えこそ1度だけになってしまうが、3200mに比べても決して見劣りすることないコースである。天皇賞・春を5勝している武豊騎手も「京都2400mはフランスのロンシャンに匹敵する」と言っていたのを聞いたことがある。
それに距離短縮は牝馬や中距離馬の参戦を期待できるという点でも有利である。例えば3歳最強牝馬のファインモーションは来年海外遠征する予定だが、これは日本の春季に彼女が走るのに相応しいレースがないことも一因である。天皇賞が2400mになれば参戦するかもしれないし、中距離馬でも天皇賞の名誉を求めて参戦する馬が出てくるだろう。出走馬が幅広いことは単に出走頭数が増えることよりも馬券売り上げに好影響を与えるだろう。
けれども「淀の二度の坂越え」が見られなくなるのは、感情論を押し殺したとしてもやはり惜しい。そこでこの役割を菊花賞に求めたい。すなわち菊花賞を古馬に開放するのである。現状の菊花賞はクラシック登録が必要で付加賞が高額なことから、距離適正に疑問のある3歳馬も参戦している。古馬にとってもジャパンカップ前のレースとしては2000mの天皇賞よりも3000mの菊花賞の方が相応しい場合もある。菊花賞はステイヤーが実力を発揮できる最高峰のレースとするべきである。世界的には2400mですら長いといわれてはいるが、それは10ハロンすなわち2000mを基準距離とするアメリカ競馬が世界的に隆盛しているためである。オーストラリアの最重要レース、メルボルンカップは3200mのままであり世界的に見ても重要性は衰えたわけでない。近年中山3600mのステイヤーズSがG2に格上げされ、ここを勝ったメジロブライトがその後の天皇賞・春を獲得したことも記憶に新しい。長距離レースは騎手の駆け引きなど見どころが多く、潜在的なファンが多い。それにステイヤーは種牡馬としての価値は低いので長く活躍することが多い。スペシャルウィークのようにG1を勝ちを積み重ねて4歳で引退したところで、種牡馬として成功する確率はそれほど高いわけでない。それよりも、ナリタトップロードのように長く活躍する馬を厚遇する方が、ファンにとっても関係者にとっても有益なはずである。
ただしこうなると秋華賞の存在価値はなくなる。以前コラムで指摘したようにエリザベス女王杯と統合して1800mまたは2000m戦にするべきだ。さらに宝塚記念の開催時期を前倒しして2000mの中距離戦に変更、天皇賞馬と安田記念馬の対決の場とするのである。
2002年12月9日筆
2002年宝塚記念はマンハッタンカフェ、ナリタトップロード、ジャングルポケットの天皇賞上位入線馬がことごとく回避し、G1馬はエアシャカールだけというまことに寂しい顔ぶれとなった。以前に当コラムで書いたとおり、宝塚記念は高い賞金の割に、権威が低く、JRAはそれを払拭しようといろいろな努力をしてきた。現状の宝塚記念は3歳馬にも出走の機会を与えるため、開催を後ろにずらしている。筆者は宝塚記念をダービーの1週後か2週後に繰り上げるべきだと考える。
そもそも現状の日程は、宝塚記念を英国のアスコットの名物レース「キングジョージIV世&クイーンエリザベスS」のように、春競馬の終盤に3歳馬と古馬と対決するレースを目指して改変されたものである。しかし、ダービー馬はおろかNHKマイルCの勝ち馬すら参戦しないだけでなく、天皇賞組も梅雨による馬場悪化、間隔が開きすぎるなどの理由で回避している。何故こうも関係者が尻ごみするのは、ひとつには3歳馬にとっては三冠路線である菊花賞の権威が抜群に高く、古馬にとっても天皇賞の方が重要なレースであるからである。
欧州と日本では事情がかなり異なる。欧州では、馬の生まれる時期が平均して2ヶ月程早く、日本の馬の同時期に比べて成長度が早い。それに10月で競馬が終わるという番組上の都合で夏場に使わなければ賞金を稼げないという事情があるのあろう。これに対して日本では11月からが秋競馬の本番で年末の有馬記念まで続く。年末まで戦うためには、夏場を休養に当てる必要がある。
こうしたことから、これまでの実績からも、日本では春の段階では3歳と古馬の対決はなじまないと判断してもいいと思われる。それならばマイルの安田記念と長距離の天皇賞組との中距離での対決という図式を重視し、春競馬の盛りあがりが残るダービーの翌週、または翌々週に日程変更するべきである。実際に1995年まではこの日程だった。3歳馬との関係では、ダービーは今後とも外国産馬に対する出走制限が課せられると思われるので、関係者の意気込み次第で、ダービー除外の外国産馬が登録なしでも出走できるようにしておいたらいいだろう。安田記念はオークスの前週に配し、中2週か3週で参戦できるようにする。
それからJRAの経費削減の一環として、宝塚記念のファン投票を廃止してはどうだろうか。有馬記念に比べその知名度は遥かに低く、ファンの反発も少ないと思われる。けれどもせっかく特製のファンファーレを採用しているのだから、ドリームレースとしての権威を保つ必要がある。その対策として、出走馬をG3勝ち馬、G2連対馬、G1ワイド圏内入線馬のみに限ると制限すればどうか。グランプリは有馬記念、ドリームレースは宝塚記念とするのである。
2002年9月9日筆
中央競馬の売上低迷がいわれて久しい。主な原因は長引く不況で一人あたりの馬券購入金額が落ちているからで、JRAだけの責任ではない。JRAとしてはG1新設を中心とした競馬番組の改変を行ったが、これが売上向上に結び付いていない。特に期待したような効果を上げていないのは菊花賞の日程を前倒ししたことだろう。これはジャパンカップに3歳馬を参戦を促し、ジャパンCと有馬記念で3歳馬と古馬の対決を2回行おうという意図で行われたのだが、ジャパンCに出走した有力3歳馬は有馬記念に出走しなくなり、有馬の出走メンバーが手薄になってしまうという逆効果になってしまった。
それだけではない。エリザベス女王杯が古馬開放されたために、牝馬の有馬記念の出走が減ってきていることだ。いかに有馬記念が牝馬に分が悪いとはいえ、やはり牝馬がいないと華やかさに欠ける。
そこで有馬記念の距離を現状の2500mから2200mに短縮することを提案したい。この距離変更の利点は、マイラー、中距離馬から長距離馬まで幅広く出走馬を集めることができる点にある。マイルしかダメな馬、または2000mが限界の馬でトップクラスの馬は招待制という制限はあるが香港マイル、香港カップに向かえばいいし、2400mがベストなら香港ヴァーズという選択肢もある。二戦級の馬ならば、長距離馬はステイヤーズS、中距離馬は翌年の金杯に回ればいい。しかし2200mならあわよくばという打算がはたらく陣営はあるはずである。
それに世界的な趨勢として長距離から中短距離へと流れが変ってきている。特に競馬がヨーロッパからアメリカに移るにつれて、2400mから2000mに移りつつある。いまや2400mでも長いといわれ、芝でも2000mでのスピードが種牡馬としての成功の試金石となっている。
有馬記念は当初は2600mで行われ、第11回から2500mに短縮しているが、基本的な距離設定は変っていない。この距離設定は当時の有馬理事長により、中山にダービーに匹敵するレースをという意気込みで作られたので、ダービーの2400mを意識していたのだろう。しかしステイヤー育成を目的としていた頃の名残りであるという側面も否定できない。確かに中山2500mには独特の趣があるし、G1に格付けされたレースを安易に条件変更はするべきではないのは筆者も認める。しかし売上面でダービーを凌ぐレースに成長したのだから、時代の流れを受け入れて、様々な路線から受け入れられる距離にして、真のグランプリとするべきである。
2002年2月22日筆
1999年に障害競走の番組充実がはかられてから3年が経過した。常連の競馬ファンにはそれなりに定着しているようだが、JRAの宣伝不足もあいまって、一般のファンにはほとんどこの事実は知られていない。とりあえず、前年の98年から2001年までの中山大障害の売上を見てみよう。
1998年 12億円
1999年 21億円
2000年 25億円
2001年 18億円
初年度の99年は75%増しの21億円を記録。改革効果が認められるが、2001年は頭数が10頭と少なかったこともあって18億円と約70%減となった。この数字はJRAのG1競走の中で中山グランドジャンプと最下位を争っている。翌日開催される優勝賞金が1億8000万円の有馬記念が500億円を売り上げることを考えれば、中山大障害のそれは8000万円だから、200億円は売り上げていいはずだ。この数字は難しいにしてもなるべくレースの馬券売上を増やして独立で採算を採れるようにするべきである。
そこで有馬記念と中山大障害を同日開催、それも有馬記念の一つ前に中山大障害を行うことを提案したい。一つ前にするのはテレビ中継を通じて障害競走の魅力をファンに知ってもらうためである。99年中山グランドジャンプを桜花賞の前に行って、テレビ中継されたことを覚えている人も多いだろう。やはりテレビというのは21世紀になっても最高に注目を集めるメディアである。また売上も好影響間違いなしである。2001年有馬記念の一つ前のレースはフェアウェルステークスであったが、これが20億円の売上があったのである。G1連続施行のインパクトを考えれば、100億円の売上を達成することは決して難しいことではない。
中山大障害を土曜日に行う利点としては、有馬記念の前日売りに貢献できるという点がある。それに対しては、最近2歳有力馬が出走する傾向にある阪神のラジオたんぱ杯をG2に格上げして注目を集めさせ、土曜日の客を吸引すればいい。2000mのたんぱ杯の方が1600mのG1朝日杯よりもクラシックに関連が深いのは、最近の勝ち馬から考えると明らかで、格上げにより朝日杯の勝ち馬が最優秀2歳馬という紋切り型の発想に楔を入れることができるかもしれない。
売上低迷に悩むJRAでは来年度より有馬記念を12月最終日曜日に固定することを検討しているという。しかし地方競馬、特に大井の年末の風物詩である東京大賞典の売上に悪影響を与えかねない。JRA以上に苦況に立たされている地方競馬に迷惑をかける前に、まずJRA内部の既存番組を有効活用するべきである。有馬記念と中山大障害だけでなく、皐月賞と中山グランドジャンプの同日開催も同様の効果があることは言うまでもない。
2001年12月29日筆
競馬の予想にとって馬主がだれかということはほとんど重視されない。されないのは当然で、自分の馬に関しては馬の専門家である調教師に一任され、馬主が口出しできる場合は引退の最終決断ぐらいであるからである。しかし馬主が馬を買わなくなれば競馬は存続できないのは歴然とした事実である。そんな馬主にあって特権といえるのは,馬名を自由につけられることと、自分の服色で走らせることだろう。地方競馬では馬主服はなく騎手服で走ることになっているから、馬名をつけるのは、馬主にとって地方中央共通の最大の特権といえる。
馬名はカタカナで9文字以内で自由につけることができる。ただし奇妙な名前や大レースに勝った馬名は除かれる。ところで馬名には冠名というものがある。メジロ牧場の「メジロ」、さくらコマースの「サクラ」らが有名だが、小馬主でも冠名がある場合もあって、これは日本特有の文化といえるだろう。しかしながら冠名には批判が少なくない。一言で言えば安直で、馬主の宣伝行為になりかねないというわけである。筆者としても5代血統表に「メジロ」や「サクラ」の名が連なるのは感じがいいとは思っていない。最近バンブー牧場がひとつの解決策を呈示している。それは牡馬には従来通り「バンブー」の冠名をつけるが、牝馬には「ティコティコタック」のようにラテンのリズムの名前をつけるという方法である。牝馬は繁殖牝馬で牧場に帰ることが多いのに対して、牡馬は種牡馬となるのはごく限られているので、それだけ「バンブー」の名が血統表に連なることが少なくなるということである。
海外の馬名は父母の名前に因んで付けられるのが多い。一例として大種牡馬ノーザンダンサーを見てみよう。ノーザンダンサー(北の踊り子)の子孫がニジンスキー(ロシアの天才バレリーナ)、グリーンダンサー(未熟な踊り子)ノーアテンション(目も当てられない)と続く。また他の息子では今欧州を席巻している種牡馬サドラーズウェルはある有名な劇場の名だそうだ。このようにノーザンダンサーの息子には踊りに関係しているものが非常に多い。ノーザンダンサーの母の父はネイティブダンサー(原住民の踊り子)でその母はゲイシャ(芸者)、そしてその母はミヤコ(京都)で、父はディスカバリー(発見)である。京都で発見した芸者は日本の(原住民)の踊り子であった、というわけである。
このようによくできた例は海外の血統表には散見するのだが、よく見ると最近の海外の馬名には父と母の名前をくっつけただけという安直な名前が意外に多い。海外の馬主にも想像力を駆使して関連性のある独創的な馬名を期待したい。
さて、秀逸な馬名をつけている馬主を個人的解釈であげると、社台レースホースであろう。ここは日本最大の馬主であり、かつては「ダイナ」の冠名で重賞を勝ちまくり、それこそ「冠名批判」の対象となったのだが、1987年デビュー組から父母の名前に因んだ洒落た名前を付けはじめた。日本でこの人がどんな馬名をつけるかで話題になるのは小田切有一氏であろう。「ノアノハコブネ」「ヒコーキグモ」「ラグビーボール」「エガオヲミセテ」「ナゾ」など普通の人ではちょっと思いつかない名前である。冠名をつける馬主では「マチカネ」の細川益男氏が関西特有のコテコテを感じさせておもしろくそのファンも多い。菊花賞を勝った「マチカネフクキタル」ははじめは奇妙に感じたものだが、実際勝ってみるとそれに相応しい名前のように思われる。冠名に父の名前をつけただけの「テイエムオペラオー」よりは余程いいと思うのは筆者だけだろうか。
日本の競馬はファン中心主義でここまで発展したといっても過言ではない。しかし本来の競馬は金持ちの道楽で馬券は沿え物に過ぎないものだ。もう少し馬主の権利を拡大するべきではないだろうか。レーシングプログラムに馬主の名前をもっと目立つようにするべきだし、パドックだけでなく厩舎にも自由に出入りできるようにするべきである。改革の方向いかんで外厩制度が実現できれば、馬主が専属の調教師を雇うということも認めるべきだろう。そこまでいかなくても、最近は馬券の売上も落ち、下級レースの賞金の引き下げや諸手当のカット等も視野にいれられよう。それに対して馬主のプライドをくすぐるような諸政策を実施することは重要であろう。
2001年11月18日筆
この夏、新潟競馬場に直線1000mコースが設定され、戸惑いつつも定着化しつつあるようだ。しかし直線コースがローカル競馬でしかも、全国でひとつだけというのは代替開催のときにも問題になるかもしれない。そこで筆者は京都競馬場に直線1000mコースを設定することを提案したい。
しかし新潟のようにスタンド前の直線を延長することは、ゴールポストを左回りの位置に移動させたとしても難しい。そこで向こう正面の直線に1000mコースを設定することを考えてみる。当然ゴールは第3コーナー手前となり、スタンドからは一番遠いところとなる。しかしターフビジョンを見ることでかなり補えるはずだし、向こう正面にゴールポストがある競馬場はフランスのロンシャンはじめ世界的に珍しくない。しかも京都の場合、平坦な新潟と異なり、3コーナー手前は急激な坂になっており、ゴール前の逆転劇を生み、ゴール後の馬の減速にも有利であろう。
問題はJRAだけでは実現できないということであろう。2コーナーのポケットを200m延長して、1800mコースを設定したときにはJRAの厩舎敷地を利用できた。しかしそこからさらに200m延長するには、隣接する産業廃棄物処理場の移転が必要である。筆者の推定では処理場の敷地は河川敷に位置することから国土交通省の管轄と思われる。もしそうならば、JRAを監督する農林水産省を通じて国土交通省に交渉して、処理場を移転してもらうことはできないものだろうか。もっとも役人にはメンツがあるので、農水省が頭を下げるとは思えないし、国民の娯楽のためというのは、移転理由として合理性に欠くことは否めないが。
このような事情で簡単に延長できないのは分かっているが、中央4場のうち、比較的簡単に直線1000mを設定できるのは京都のみである。ぜひ実現してもらいたいものである。新潟との関係では「日本唯一のスタンド前直線1000m」としてメンツを保つことができる。さらにこれが実現すると、2000mコースが2コーナー奥からのスタートとなる。わずか2回コーナーを回るだけ、末脚勝負の馬にうってつけである。以前筆者は「秋華賞とエリザベス女王杯を統一せよ」というコラムを書いたが、その文末に触れているように、新「エリザベス女王杯」がこの2000mコースで実現することを希望する。
2001年8月21日筆
今年の夏、新潟競馬場に日本初の直線1000mコースが新設された。リニューアル効果もあって入場者数も好調のようである。しかし、これはリニューアル前からの問題なのだが、競馬場への交通が不便であることである。
実は新潟競馬場はJRAの競馬場の中で唯一鉄軌道のアクセスが期待できないところである。鉄道の輸送能力の高さは、東京の通勤ラッシュを見れば明らかだ。快適性を二の次にすれば、渋滞に巻き込まれるのが避けられないバスに比べて、専用軌道を持つ鉄道は定時性にすぐれ、増結増発で波動輸送に対応できるからである。まずJRAが管理する競馬場の鉄道アクセスの現状について述べる。
東京競馬場は正門の前に京王線の駅がありそこから徒歩1分。中央4場の中でもっとも鉄道利用が便利である。さらにJR武蔵野線の府中本町駅からも徒歩5分で、実際これくらいの輸送能力がないと大観衆はさばききれまい。京都競馬場は京阪電車淀駅から徒歩5分。京阪も臨時に急行を停車させたり、淀始発の電車を設定したりして、最近では快速ターフィー号を走らせたりして対応している。現在駅が高架工事中でより便利になることだろう。阪神競馬場の最寄り駅は阪急電車仁川駅で徒歩8分。ただ競馬は阪急のイメージを悪くすると思っているのか、梅田行きの直通準急を走らせているものの、その本数は少なく、京阪ほど観客輸送に熱心でない。中山競馬場は中央4場の中で最も交通が不便である。それでもJR武蔵野線船橋法典駅まで直結地下道ができて徒歩15分となった。また列車本数の多い西船橋駅には歩いて30分と何とかなる距離である。他には京成電鉄東中山駅から徒歩20分である。
ローカルに目を転じると、札幌競馬場は、JR桑園駅から徒歩10分。因みに桑園は札幌の隣の駅である。函館競馬場は函館市電の電停「競馬場前」で降りてすぐである。路面電車なので輸送量は大きくないが、頻繁運転で対応している。それに路面電車はバスに比べてはるかに乗り場がわかりやすい。福島競馬場は中山競馬場並に離れていて、バスでのアクセスが適当だが、福島駅から歩いても30分で行ける。帰りは渋滞しているのでこの方が気楽なくらいだ。中京競馬場は名古屋鉄道中京競馬場前から徒歩10分。最近駅の橋上化が完了し、ホームに余裕ができた。小倉競馬場はモノレール「競馬場前」下車1分以内。東京競馬場のように歩道橋すらなく、日本一駅に近い競馬場である。最近モノレールの小倉駅がJR駅ビルに直結しより便利になった。
長々と新潟競馬場以外の現状を書いたが、要するに鉄道の駅から最低でも30分以内のところにあるということだ。新潟はどうか。一番近いJR白新線豊栄駅及び早通駅は競馬場から5キロ程離れており歩いていくには絶望的だ。しかも白新線の運転本数も少ない。となると新潟市内からのアクセスはバスに頼るほかない。新潟駅南口から国道7号線バイパス経由で直通バスを運転している。早ければ20分で着くが、渋滞に巻き込まれると1時間以上かかることもある。特に最終レース後の渋滞がひどく、駐車場をでるのにも一苦労である。
鉄道の有効性はわかっていても、この新潟では建設することはほとんど不可能である。鉄道を建設するには建設費を回収するだけの需要が必要なのだが、現在いや未来の予測を含めても競馬場周辺地域の人口では厳しい。建設費の安いモノレールを建設しようにも積雪の問題がある。このように郊外にあってまとまった土地を確保できたからこそ、直線1000mコースを設定できたのだから、交通が不便なのはその裏返しと言えるだろう。
結局、アクセスを改善するには次の方法しかないだろう。つまり7号線バイパスを含めたバス路線に専用レーンを設けることである。バイパスに関しては1車線増設して午前午後で一方通行を切り替えれば理想的である。開催のないときは一般に開放すればいい。サッカーワールドカップが開催されるアイビススタジアムへの輸送も同様に対応すればいい。もっともこれらはJRAではどうすることもできない問題である。しかし競馬場内の敷地を通って7号線バイパスの競馬場インターチェンジへの近道を直通バスのために建設するくらいのことはやってもらいたいものだ。
あまりに立派なコースができたので「G1開催を」との声が上がる新潟競馬場であるが、アクセスの現状がこのようでは観客の集中するG1開催は難しいのではないだろうか。馬券売上では貢献できても競馬場に足を運んでくれたファンは不満を感じるはずだ。全国各地でテーマパークの閉園が相次いでいるが、それらはほとんど輸送手段をバス、クルマに頼っていたところが共通している。JRAはG1を開催するなら、できる範囲内でアクセス改善を施してから開催してもらいたい。東京競馬場改修のため、来年のジャパンカップは京都か新潟で開催することが決まっているが、筆者は現状では京都に軍配を上げざるを得ない。
最後に、余談であるが直通バスは新幹線ホームのある南口から出ていて、繁華街になっている万代口からの競馬場行きのバスは停留所が中央郵便局前からと離れている上に、一日3本しかない。しかも旧道をこまめに停車するので渋滞していなくても時間がかかる。筆者も失敗したので注意されたい。
2001年7月28日筆
先日、日経新聞の競馬情報サイト「サラブnet」において「格下げが適当なG1レースは」というアンケート調査があった。第1位の有馬記念は心ないファンのいたずらと思われるが、第2位そして事実上の第1位に選ばれたのは秋華賞であった。このサイトに掲載されている意見と同様に、筆者も秋華賞とエリザベス女王杯に統一するべきだと思う。
秋華賞とは1996年、牝馬の菊花賞として施行されていたエリザベス女王杯を古馬に開放した際に、これまで通り3歳牝馬限定レースとして新設されたものである。しかしながら、世界的趨勢はダービーが終われば古馬混合戦が普通となり、イギリスのセントレジャーのような3歳限定戦は衰退しつつある。この傾向からすれば菊花賞も古馬に開放するべきであろうが、このような伝統的な3歳クラシック路線を堅持しているのは日本だけということと、現実に菊花賞が優秀な競走馬の選定ということに関してはダービーを凌駕しているので、現状のままでいいと筆者は考える。
しかし牡馬と違って牝馬は、無理に現役を続けなくても繁殖馬として牧場に戻れるので、活躍期間が短い傾向にある。それゆえ馬資源が少なく、3歳限定と古馬にレースが別れていると有力馬が分散してしまって、出走馬の質が下がり、ファンの興を削ぐということになる。そこで秋華賞は廃止して、秋の牝馬限定G1はエリザベス女王杯に統一するべきである。
ところで秋華賞は京都2000m内回りコースを使用している。内回りコースでは直線が阪神よりも短い328mしかなく、最後の直線の攻防に迫力を欠き、外回りに比べて勾配も小さく展開のまぎれも多い。またスタンド前からの発馬となるので、3歳牝馬にとって大歓声で実力を出し切れないことがあり得る。この点は2200m外回りのエリザベス女王杯も同様である。そこで統一の際には1800mに短縮することを提案したい。京都の1800mのスタート地点は2コーナーの奥深くにあり、3コーナーまで長い直線が続き枠順の不利もない。そして大歓声もここまでとどかず各馬が実力を発揮しやすくなる。またこのコースはハイペースになりやすく、牝馬特有の斬れる脚による直線の攻防は見応えのあること間違いなしである。さらにいえば引き込み線を200m延長し2000mとすればなおいい。フランスの凱旋門賞が行われるロンシャンのコースは距離2400mながらコーナーを2回回るだけである。その凱旋門賞の舞台に迫るコース設定が日本でもっとも美しい京都競馬場で実現できれば素晴らしいことだと思うのは筆者だけだろうか。
2001年2月25日筆
いささか旧聞に属するが、先月の朝日杯で2着したタガノテイオーが競走中に骨折、致命症ということで安楽死処分された。今回のコラムはこうした動物の安楽死について考えたい。
地球上の動物は全て環境に適応するように進化してきたと思われるが、必ずしもそうではない。例えば恐竜などはやがて訪れた氷河期にその巨体をもてあまし全滅の浮き目にあった。馬も元々は犬程度の大きさだったのが巨大化していった動物と推定されている。馬の身体の特徴を見てみると、蹄は平らで岩場での居住に適しておらず、水場に近い草原に居住範囲が限定される。また牛のように複数の胃がないのと反芻しないために、常に草を食べていなければならない。このことは馬の居住範囲に大きな制約があることを意味し、他の肉食動物にとって格好の獲物となった。また身体が大きすぎて隠れる場所がないのも捕獲動物にとって好都合であった。さらに消化器官が細く長いために腸捻転が起こりやすく、胃のふん門が固く閉じているために食べたものを吐き出すことができないという困った性質もあった。
このように馬という動物はこの地球で生存していくには甚だ不利な動物であるといえよう。事実、野生馬がもはやほとんど地球上に存在が確認されていないことが如実に示していよう。馬は他の動物に保護されるしか生きる術はなかったのである。その動物とは他ならぬ人間であった。人間も馬を必要としていた。初期においては食料確保のための狩猟の対象であったであろう。しかし馬の背は荷物の運搬に適し、農耕の為の使役にも有用であった。また牛よりも移動速度がはるかに速いために、人間同士の戦争にも重要な「兵器」となった。馬は厩戸という人間が作った住処で安全と食料が確保され、その対価として労務を提供したのである。人間も馬を改良する努力を怠らなかった。馬の背に人間や荷物を乗せやすくするための鞍、蹄の磨耗を防ぐ蹄鉄、そして人間の意志を馬に伝える為の銜(ハミ)などである。この銜などは馬の口に歯がない隙間があるのを利用したもので、まさに人間のためにあるかのような構造である。古代人は馬が神から授かった動物だと考えたのは当然のことであった。
要するに人間と馬は互いに補完しあって生存してきた動物なのである。現在、鉄道や自動車の発達で馬でなければできない労務はほとんどない。しかしそれはここわずか100数年間での出来事であり、それまでの陸上交通は馬がが担ってきたと言っても過言ではないだろう。この人間と馬との信頼関係は簡単に壊すことはできないと思う。けれども馬は犬のように一般家庭の愛玩用としては大きすぎ、その世話も容易ではない。結局、馬は専門的知識を持った人間に世話され、人々に娯楽を提供するための「競馬」用の馬、すなわち競走馬してしかほとんど生きることができないと言えるだろう。
ところで馬に限らず、今生き残ってる動物は淘汰という過程を踏んで来ている。馬牛などの家畜は人間が優秀だと認めたオスしか子孫を残せないし、野生動物にしても身体の弱い個体は病死してしまう。この原則に当てはまらないのは、病気を科学の力で克服し、好き放題に性交して子孫をやたらに増やしている人間である。話は少々本題から外れるが、人類が今閉塞的危機的状況にあるのは「誰もが子供を生んで育てるのが当然」という考えに肯定的意見を持つ人が多いからだといえる。
馬が今後生きるにはその過半数は競走馬になるしかなく、また競走馬である以上、酷使による骨折は避けられない。またそれが治癒する見込みがないというのなら、馬が苦しまぬように安楽死にすることは、人間の当然の責任であると筆者は考える。よく飼っているペットが仔を生んで引き取り手がない、あるいはペットそのものに飽きて、野に放つ飼い主が少なくないが、飼い主が最善の努力をした上でペットを安楽死することは責任ある行動といえるのではないだろうか。
「人間のエゴだ」と安楽死を否定し、動物愛護を声高に叫ぶ人は、他の動物を一切食べないで、水と空気だけで暮らしてもらいたい。植物もダメである。生命あるものには違いがないのだから。おそらく1週間と生きていられないであろう。そこで理解してほしい。他の動物を殺すことが人間の「原罪」あるいは「業」であることを。人間に幸福があるのは、他の動物あるいは他の人間の不幸によるものだということを肝に銘じておきたい。
2001年1月1日筆
2001年よりJRAにおける馬齢表記が数え年から満年齢に変更される。これは欧米の表記に倣ったもので国際共通ルールに則るという意味では意味のあるものであろう。しかしそのために競走名に馬齢が含まれているものは変更を迫られることになった。以前筆者がコラムで指摘した悪名高きの「報知杯四歳牝馬特別」「サンケイスポーツ賞四歳牝馬特別」はそれぞれ「報知杯フィリーズレビュー」「サンケイスポーツ賞フローラステークス」に改名され一応決着を見た。G3及びG2の旧三歳重賞は○○2歳ステークスとなった。少々安直ではあるが、「2歳」は新しい呼称であるし、「東京ジュニアステークス」あるいは「東京ヤングステークス」とするよりはましだと思う。これらはよしとして、筆者が激怒し、良識あるオールドファンにとって納得ができないのは2歳G1レースとして開催される「朝日杯フューチュリティステークス(旧称:朝日杯三歳ステークス)」と「阪神ジュベナイルフィリーズ(旧称:阪神三歳牝馬ステークス)」のふたつの競走である。
まず気に入らないのはフューチュリティ、ジュベナイルフィリーズという外来語を安易に使用していることである。かつてエリザベス女王杯が古馬に開放されるために、四歳牝馬限定G1が創設されると聞いて、これが安易な名前になるのではと悪い予感がした。しかし「秋華賞」という秀逸な名前がついて、JRAに密かに拍手を贈ったものだ。けれども今回の名前はまったくいただけない。フューチュリティが「未来」を意味する英語であることは知っている人は多かろうが、ジュベナイルフィリーズが満2歳牝馬を意味することを知っている人は少ないだろう。海外競馬、特にブリーダーズカップを知っているならこれは常識であろうことでも、こんな一般的でない外来語をG2ならともかく、品位を求められるG1の競走名としてはまったくそぐわない。JRAとしては国際化と若者への受けを狙ってのネーミングと思われるが、その狙いはものの見事に外れるであろう。
しかしながら正式決定した事項を、単に悪評だからといってJRAが直ちに覆すとは思えないし、役人としての面子もあるだろう。我々にできるだけの「抵抗」で、将来的に改称に追い込むしかない。
まず朝日杯フューチュリティステークスだが、これは今もそうだが「朝日杯」と通称されるであろうから、我々にとっても実害が少ない。後述する阪神ジュベナイルフィリーズが外来語表記なので、そのバランスをとるために「フューチュリティ」という言葉をつけたのであろう。はじめから単に「朝日杯」とすればよかったのである。マスコミが単に「朝日杯」としか書かず、それが一般化すれば、JRAとしても看過できずに、「朝日杯フューチュリティステークス」は正式名称として残るものの、「朝日杯」の略称が認知されるかもしれない。ちょうど北陸新幹線が長野まで開業したときに、北陸各県の心情を配慮してJRは「長野行新幹線」と案内していたのに、マスコミ各紙は開業当初から「長野新幹線」としか書かなかったために、今はJRも「長野新幹線」と案内しているように、である。
阪神ジュベナイルフィリーズについては「ジュベナイルフィリーズ」という耳慣れない外来語が定着するかどうかにかかっている。朝日杯のように後半を省略してジュベナイルフィリーズを発音しないとすると、単に「阪神」となってしまい、これでは何のことだかわからない。「阪神ジュベナイル」だけでは満2歳馬を意味するので牝馬という意味が含まれない。これが定着化してしまうと何のための国際化が分からなくなる。ここは阪神を省略してでも「ジュベナイルフィリーズ」と呼ばねばならないのである。個人的な意見を言えば、旧称の阪神三歳牝馬ステークスというのもどうも冴えない名称である。筆者はJRAがどのような名称にするのか以前から興味を持っていた。朝日杯に対抗して「読売杯」とするのか、地元の有力企業を冠としていただいて「松下杯」とするのか、あるいは牝馬三冠馬を顕彰して「メジロラモーヌ記念」とするのか、はたまた阪神競馬場に近い宝塚歌劇団にちなんで「雪月花賞」とするのかいろいろ想像してみたが(蛇足であるが宝塚歌劇団の所属組はこの雪月花に由来している。今は星と宙が加わっている)、何とも悪名に決定してしまったものだ。個人的にはクラシックは花の名前であることだし、開催する季節柄も考慮している「雪月花賞」というのが一番気に入っているのだが、JRAがこれに変更する可能性はゼロだろう。
JRAの面子を保ちつつ改称するには、外圧を利用することだろう。こういう例がある。今のエリザベス女王杯はかつて「ビクトリアカップ」という名称だった。それが昭和50年エリザベス女王が来日したのを記念して翌年に現在の名称になったのである。ワールドスーパージョッキーシリーズにかこつけて、たまたま来日している国賓をゲストとして招待し、その国の名前やそれに因んだ名前に改称するというのはどうだろうか。例えばフランスの大統領が来られたのなら、ベルサイユステークスとすれば、少なくとも「ジュベナイルフィリーズ」よりは一般的に通用するはずである。「ベルサイユのバラ」と言えば、宝塚歌劇団の十八番であるし地域性も考慮できて一石二鳥ではないか。まあフランス大統領が来るまでに定着化すればそれでおしまいであるか。
最後にもうひとつだけ。ダートの重賞に「根岸ステークス」というのがある。この根岸というのはかつて横浜競馬場のあった地名に由来している。このようにかつて競馬場のあった地名が重賞競走名として残っているものに、「目黒記念」「関屋記念」「鳴尾記念」とあるが、根岸だけ何故かステークスなのである。ダートももはや芝より格下といえない現在なのだから、ここは「根岸記念」と改称するべきである。
2000年12月4日筆
今年、JRAがミレミアムキャンペーンとして、「20世紀の名馬大投票」なるものが実施され、優駿10月号に以下のような投票結果が掲載された。
ファン投票結果(上位10傑)
1.ナリタブライアン
2.スペシャルウィーク
3.オグリキャップ
4.サイレンススズカ
5.トウカイテイオー
6.シンボリルドルフ
7.シンザン
8.ハイセイコー
9.エアグルーヴ
10.エルコンドルパサー
この結果を見てほとんどのオールドファンにとってはおそらく納得できるものではなかったであろう。また良識的な競馬ファンが客観的な視点から見ても首を傾げたくなるような結果であった。何故五冠馬シンザンが宝塚記念を勝っただけのサイレンススズカより下なのか。この投票結果は1000位まで発表されたが、ツインターボのようなG1勝ちもない逃げ馬が91位にランクされて、マイルの皇帝ニホンピロウィナーが95位とあっては、単なる人気投票であったと言われても仕方あるまい。結論的には、実際に投票したのがが若年者主体であったこと、過去のことは水に流そうとする日本人の新しい物好きが近年の馬を相対的に評価したこと、死んでしまった者に同情するこれも日本人的な美徳がこのような投票結果となったのだろう。
この結果にJRA側も意外に感じたかどうか知らないが、優駿11月号に「プロの目で厳選した20世紀のベスト100」というのが発表された。こちらには明治の名馬コイワヰから現役最強テイエムオペラオーまで「納得の名馬」が掲載されている。そしてさらに選考委員が厳選した「ベスト10」が以下の通り発表された。
選考委員によるベスト10
1.シンザン 36点
2.シンボリルドルフ 35点
3.ナリタブライアン 27点
4.クリフジ 24点
4.トキノミノル 24点
6.セントライト 11点
6.テンポイント 11点
6.オグリキャップ 11点
9.スペシャルウィーク 10点
10.マルゼンスキー 9点
選考委員が1位10点、2位9点というふうに点数をつけての総得点なので、同点になるのは仕方がない。これならまず納得できる順位である。またこの順位を受け入れられないファンがいるとしたら、その人は競馬ファンでないと言っても差し支えないくらいだ。しかし馬の見る目は人それぞれだ。この順位を受け入れた上で自分自身が納得できる順位があってもいいはずだ。そこで筆者は、筆者なりに熟考した20世紀名馬を発表することにした。そもそも選考委員の横尾一彦氏が「元々、名馬の強さは比較できるものではない。相撲でいうと双葉山、大鵬、千代の富士の強さは比べようがない」といったことを述べられている。全くの正論であるが、それではJRAが発表しているクラシフィケーションは何のためにあるのか。これはできるだけ客観的な目で過去の名馬と比較しようという試みではないだろうか。比べようがないからといって比べないのは想像力の欠如であろう。
筆者の考えた順位は以下の通りである。
1.シンボリルドルフ
2.シンザン
3.ナリタブライアン
4.クリフジ
5.エルコンドルパサー
6.セントライト
7.トキノミノル
8.オグリキャップ
9.スペシャルウィーク
10.テンポイント
名馬といっても大きく分けて、競走成績の優秀な「競走型」と、繁殖成績に優れた「繁殖型」があるが、ここでは「競走型」を優先することにした。トサミドリ、マルゼンスキーは種牡馬として比類ない実績があり、競走成績においても尋常ならざる実績を残したが、この観点から対象外とした。つぎにクラシック路線から天皇賞といういわゆる王道を通って来た馬と、短距離路線だけに絞って出走して来た馬との比較では、やはり誰もが夢見るクラシック路線を通って来た馬を上位とすることにした。例えばタイキシャトルは短距離路線だけに出走し、海外G1制覇を含む素晴らしい実績をあげたが、彼が外国産馬であることでクラシックには出走できなかったことを割り引いても、その評価は一枚落ちると考えた。
そうなると自然にクラシック全勝馬つまり三冠馬が実力的に上位ランクされるのは当然であろう。三冠馬はセントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンの5頭。この中ではミスターシービーの評価が下がるのはやむ得ない。1年後にシンボリルドルフという三冠馬が現れて、直接対決でことごとく敗れたのだから仕方がない。しかしルドルフと直接対決のない世代で生まれていたら、もっと高い評価をされていたであろう。よく「直接対決によらなければどっちが強いかわからない」という人がいるが、ミスターシービーの場合、この直接対決があったために低い評価をされてしまった悲惨な例であろう。直接対決は実力差がはっきりとでてしまうので、このような弊害があることを明記しておきたい。
セントライトの時は三冠が世間で認知されておらず、関係者のプレッシャーも現在ほどではなかったであろう。もちろん12戦9勝で3着以下はなし、さらにダービー前に斤量61kgで古馬に勝っているように優秀な馬であることは間違いはないが、戦後の三冠馬を上位におきたい。残る3頭の三冠馬を検証すると、シンザンは19戦15勝2着4回つまり連対率100%である。馬券を買った人に対する信頼感は群を抜いている。しかも負けたのは全て大レースの前哨戦であり、三冠レース及び天皇賞、有馬記念といった大レースはことごとく勝利した。ただひとつだけ難点があるとすれば、春の天皇賞に勝っていないことであろう。当時の天皇賞は勝ち抜け制であり、一度優勝した馬は出走できなかった。したがって春の天皇賞に比べて秋はその敗者復活戦の様相を呈していた。シンザン五歳の年に春の天皇賞に勝ったのはアサホコでこれが連戦連勝の上がり馬であったことが、シンザン陣営に春の天皇賞を諦めさせたと言われている。
シンボリルドルフは無敗の三冠馬である。つまり同世代には無敵であり、生涯にわたって同世代の日本馬に負けることはなかった。四歳ですでに有馬記念を制したが、勝った相手もジャパンカップを勝ったカツラギエース、前年の三冠馬にして天皇賞馬のミスターシービーであったからメンバーが弱体であったわけではない。そして春の天皇賞を制し、秋には日本馬がもっとも勝つのが難しいジャパンカップを勝ち、二度目の有馬記念を制した。海外遠征こそ残念な結果に終わったが、これは度外視していいだろう。国内での二度の敗戦、四歳のジャパンカップ3着、五歳秋の天皇賞は2着に敗れている。この大レースに敗れた点がシンザンに劣る点だが、ジャパンカップが菊花賞から中1週でしかも古馬初対決、秋の天皇賞が春の天皇賞以来久々という条件を考えれば、むしろこの結果は上々といわなければならない。しかもその負けた相手に(外国馬は除く)はその後のレースで一度も先着を許さなかったのだから、見事な雪辱である。
ナリタブライアンは同世代で闘う三冠レースにおいて圧倒的な実力を見せつけた。三歳時は函館三歳Sの6着惨敗があったりでさほど実力が注目されていたわけではなかったが、皐月賞が3馬身半差、ダービーが5馬身差、菊花賞が7馬身差と距離が長くなるほど、着差を広げていった。しかも皐月賞と菊花賞がレコード勝ち。ダービーにしてもコンマ4秒差でしかなく、威風堂々と大外を走っていなければレコード勝ちをしていたかもしれない。この三冠レースの戦いぶりを見る限りはシンザン、ルドルフも脱帽するしかないだろう。しかも四歳で有馬記念も勝ち、シンザンを越えルドルフに並んだといっても過言ではなかった。しかしブライアンはその後G1レースを勝つことは出来なかった。故障があったにせよこれはルドルフはもちろんシンザンと比べても決定的に劣る点である。特に五歳秋は「なかったことにしたい」と思わせる程の惨敗ぶりであった。このナリタブライアンが「20世紀の名馬大投票」で1位に輝いたのは、一番ファン層の多い馬であることと、三冠レースにおける圧勝劇、そして引退から僅か2年後の非業な死に対する同情がかなり集まったからではないだろうか。
このような経緯から筆者のベスト3はシンボリルドルフ、シンザン、ナリタブライアンとなった。4位には戦前のクリフジをあげたい。この馬は11戦11勝で生涯不敗にして全て1番人気(五歳時は馬券の発売はなかった)。しかも過半数が10馬身差以上の楽勝であった。牝馬にしてダービーを勝っただけでなく、菊花賞も勝った。当時秋に行われていた牝馬限定のオークスも当然のようにレコード勝ちを収めている。クラシック3勝という意味ではこのクリフジも三冠馬と称してもおかしくはない。さらにこれは仮定の話だが、デビューがもう少し早ければ、桜花賞と皐月賞にも間に合って、牝馬牡馬のクラシック全勝となる「真性五冠馬」が誕生していたかもしれない。戦争中で馬資源が枯渇してことを割り引いても、このクリフジが「史上最強馬」という競馬関係者が多いことも当然と言えよう。
次に5位にはエルコンドルパサーを推挙した。エルコンドルパサーは外国産馬であるが、生産者は日本人であり、簡単いえば日本で設計(配合の決定)してアメリカの工場(牧場)で生産した「逆輸入車」のような馬である。この点が他の外国産馬と多少事情が異なっている。四歳時に外国産馬に用意されたG1レースNHKマイルカップとジャパンカップを制し、五歳時はヨーロッパ遠征を敢行し、サンクルー大賞典優勝、凱旋門賞2着。これまで何頭か日本馬が海外遠征したがほとんど惨敗という結果に終わっていることを考えればその素晴らしさがわかる。また海外遠征も含めて2着以下はなく、シンザン以来の連対率100%馬であった。
戦前の三冠馬セントライトはエルコンドルパサーの下の第6位とした。
7位には生涯不敗のトキノミノルとした。ダービーまで10戦全勝。しかも10勝のうち7勝がレコード勝ち。マルゼンスキーも8戦全勝馬であるが、彼が持ち込み馬でクラシックに出走できなかったとはいえ、このトキノミノルの圧勝ぶりの前ではやはり見劣りするのではないだろうか。トキノミノルはダービー直後、破傷風によってこの世を去ったが、無敗のダービー馬としてはクリフジに続く名馬といえるだろう。
8位にはオグリキャップ。ハイセイコーと同じく地方からやって来た怪物で競馬の大衆化に貢献した功績は計り知れないが、ダービーで敗戦を喫してから何となく人気先行で尻窄みに終わったハイセイコウに対して、オグリキャップはマイルCSと安田記念のマイルG1レース2勝と2500mの有馬記念も2勝という距離不問のオールマイティぶりを発揮した。もっともハイセイコーの頃にはマイルG1はなかったので単純な比較は出来ない。しながらオグリの特に常識を覆すような五歳秋のG1連闘を含む破天荒なレースぶりはまさしく名馬であることの証明であった。
9位にはスペシャルウィークを推す。名牝シラオキからヒンドスタン、セントクレスピン、マルゼンスキー、そしてサンデーサイレンスと各時代における日本を代表する種牡馬を掛け合わせた血統背景をもつこの馬は古馬になってから本領を発揮した。四歳時はダービーを得ただけだが、着差は5馬身の圧勝。五歳は天皇賞を春秋連覇しジャパンカップを加えた。宝塚記念と有馬記念はグラスワンダーに負けはしたが、有馬記念は同着といってもいいぐらいのハナ差であった。
10位はトウショウボーイかテンポイントか、またはサイレンススズカか最後まで迷ったが、テンポイントとした。四歳は大レース未勝利に終わったが、五歳秋になって完成。京都大賞典は63キロで8馬身差の逃げ切り勝ち。春に天皇賞を制していたので秋は出走できなかったが、もし出走していればトウショウボーイを下したあの歴史に残る有馬記念の結果は、よりはっきりした着差での決着となっていたかもしれない。五歳になって本格化したという点とその後の骨折で悲劇的な死を遂げたという点ではサイレンススズカと共通するところがあるが、距離適正の違いがあるにしても、四歳時の実績で勝り、また宝塚記念のみのサイレンススズカに対して天皇賞・春と有馬記念を勝ち、また斤量負けしなかった点でテンポイントを上位に推したい。
以上、筆者の考えた20世紀名馬ベスト10でしたが、いかがなものだろうか。もちろん、異論のある人もあるだろう。だがそれはそれでいいのである。前述したように名馬の基準は人それぞれ、貴方が考えたランキングがきっと「正解」であろう。
2000年11月18日筆
2000年天皇賞・秋の主役テイエムオペラオー。彼はこのレースでふたつのジンクスに挑む。ひとつは「秋天皇賞1番人気は勝てない」、もうひとつは「中央4場全てのG1レースに勝った馬はいない」というジンクスである。それぞれの詳細については当コラムの
その8、
その15を参照してもらいたいが、テイエムオペラオーはこのふたつのジンクスを打ち破ることができるだろうか。今回はこれを検証していきたい。
まず、天皇賞・秋が2000mに変更されてから、年内無敗で天皇賞に挑んだ馬は以下の3頭である。
シンボリルドルフ(1985年=ギャロップダイナ)
ビワハヤヒデ(1994年=ネーハイシーザー)
サイレンススズカ(1998年=オフサイドトラップ)
いずれも圧倒的1番人気で支持されながら敗れた。敗因はシンボリルドルフは久々で外枠、ビワハヤヒデとサイレンススズカはレース中の故障発生である。当コラムのその8に指摘したように、後述の2頭は日本レコードを叩き出すほどの快速馬であり、天皇賞で疲労のピークに達していたと推定できる。そして勝った馬はいずれも直前の重賞に勝っている好調馬という点だ。シンボリルドルフを負かしたギャロップダイナはオープン2着であるが、58キロを背負って2着の実績があり、かつ着順掲示板には必ず載る安定感があった(札幌日経賞の失格を除く)。これはネーハイシーザー、オフサイドトラップも同様である。このことから、テイエムオペラーを負かす馬は、直前のレースに勝っているか、若しくは斤量慣れしている入着馬ということになる。これに該当するのは以下の3頭となる。
3番ナリタトップロード渡辺
9番ステイゴールド武豊
15番メイショウドトウ的場
トゥナンテは毎日王冠を勝っているものの斤量57キロで、かつあのメンバーで着差がクビでは逆転の目はなかろう。
さて、当コラムのその8に指摘したように1番人気で敗れる理由として、人気の重圧から騎乗ミスが考えられる。過去には以下のような例がある。
オグリキャップ(1989年=スーパークリーク)
メジロマックイーン(1991年=プレクラスニー)
サクラローレル(1996年=バブルガムフェロー)
メジロマックイーンとサクラローレルは、いずれも外枠であったために、結果として騎乗ミスを犯し、前者は18着降着、後者は3着に敗れた。勝った馬はいずれも人気馬よりも内枠であった。オグリキャップは内枠だったが為に直線行き場を失い、大外枠のスーパークリークを差しきれなかった。このことから13番枠のテイエムオペラーを負かせるのはナリタトップロードとステイゴールドとなる。今年で引退する的場騎手に最後の花を咲かせてやりたいし、メイショウの冠号で知られる松本オーナーにも勝たせてあげたいので捨てがたいのだが、このデータからは消えることになる。
そして残った2頭は、一度ならずテイエムオペラーに苦杯を舐めさせられている馬である。テイエムオペラオーを菊花賞で下したのはナリタトップロード。父サッカーボーイという血統からするとこの2000mという距離の方が勝算が高いといえる。しかし鞍上はどうも工夫が足りないと感じる渡辺騎手である。2年連続天皇賞・秋2着の実績があるステイゴールドはなんといっても鞍上武豊が魅力である。この2頭の選択は難しい。もしナリタトップロードに武豊に乗るのなら、文句なしに推せるのだが。これは当日のパドック、返し馬を見てみないと何とも言えない。
テイエムオペラーに不利なデータばかり書いたが、年内無敗で勝った馬がいる。それはタマモクロスである。2番人気であったが、1番人気オグリキャップとは拮抗していてほとんど1番人気並のプレッシャーであった。鞍上南井は積極的に前で競馬しオグリキャップを完封した。テイエムオペラオーの鞍上和田騎手はそのように思い切って前へ行くか、逆に後方待機するかといった思い切った騎乗をすることで、ジンクスを吹き飛ばすことは可能なように思える。
いずれにしても現時点ではテイエムオペラオー、ナリタトップロード、ステイゴールドのワイドボックス馬券を買うことになるだろう。
2000年10月29日筆
2000年宝塚記念はテイエムオペラオーが制し、天皇賞に続くG1レース制覇を達成した。ところでこのテイエムオペラオーにはひとつの大記録の可能性が出てきた。それは「中央4場G1制覇(グランドスラム)」である。その名の通り東京、中山、京都、阪神で開催されるG1レースを全て制することだが、オペラオーは中山(皐月賞)、京都(天皇賞・春)、阪神(宝塚記念)と勝ってあとは東京のみである。
しかしこのグランドスラムを達成したのはわずかに1頭、しかもここ30年あまりは皆無というのが現実である。その1頭とは五冠馬シンザンで、東京(皐月賞、ダービー、天皇賞)、京都(菊花賞)中山(有馬記念)、阪神(宝塚記念)と勝っている。何故、こうも少ないのかというと、例えば牡馬の場合、阪神には2200mの宝塚記念にしかG1レースがといった、4場に距離適正に対応した競走が組まれていないという側面はあるにしても、どちらかというと珍記録に該当するものであり、三冠馬ほどの価値もないために関係者の熱意に欠けるからだが、ここではシンザン以降のJRA顕彰馬の成績を検証していきたい。
スピードシンボリは京都(天皇賞・春)、阪神(宝塚記念)、中山(有馬記念2回)と勝っている。東京はダービーで8着に敗れており、天皇賞・秋は当時天皇賞を勝った馬は出走権を失う規定があったので、出走すらできなかった。当時はジャパンカップもなかった。八歳まで走ったスピードシンボリであるから、距離適性からいっても、この再戦禁止規定がなければ天皇賞・秋は楽に勝てていたと思われるし、海外遠征でも健闘していたのでジャパンカップも制していたかもしれない。
ハイセイコーはG1勝ちは中山(皐月賞)、京都(宝塚記念)のみ。現在の距離体系ならば、阪神は宝塚記念、京都はマイルCS、東京は安田記念あるいは天皇賞で達成していたかもしれない。このころの番組はまだまだ中短距離馬は冷遇されていた。
トウショウボーイは東京(皐月賞)、中山(有馬記念)、阪神(宝塚記念)と勝っているが、京都の菊花賞は3着、天皇賞は出走を断念した。同期のテンポイントは阪神(阪神三歳S)、京都(天皇賞)、中山(有馬記念)と勝っているが、東京のダービーは7着。ただし、スピードシンボリ同様の理由で、東京の天皇賞・秋には出走できなかったことは考慮する必要がある。
マルゼンスキーは持ち込み馬であり出走できた大レースは朝日杯、宝塚記念、有馬記念のみ。結局朝日杯を勝っただけで四歳で引退した。
ミスターシービーは中山(皐月賞)、東京(ダービー、天皇賞)、京都(菊花賞)と勝ったが、阪神の宝塚記念は後輩三冠馬シンボリルドルフの威光を恐れたのか回避してしまった。
そのシンボリルドルフは中山(皐月賞、有馬記念2回)、東京(ダービー、ジャパンカップ)、京都(菊花賞、天皇賞)を圧倒的な強さで制したが、阪神の宝塚記念は故障発生のため出走取り消し。もし出走していれば出走メンバーから勝利は揺るぎなかったことだろう。
続いて史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌは阪神(桜花賞)、東京(オークス)、京都(エリザベス女王杯)と勝ったが、引退レースの有馬記念で牡馬の壁を打ち破ることができず着外に敗れた。
年号が平成になると、G1レースの数が増えこの記録の達成するチャンスが広がるはずであったが、そんな簡単なものではなかった。
芦毛の怪物オグリキャップは中山(有馬記念2回)、京都(マイルチャンピオンシップ)、東京(安田記念)と勝ったが、圧倒的人気で迎えられた宝塚記念はオサイチジョージを捕らえることができず2着に敗れた。
メジロマックイーンは京都(菊花賞、天皇賞2回)、阪神(宝塚記念)を勝ったが、東京の天皇賞は1位入線しながら、斜行で18着に降着、ジャパンカップ4着後の有馬記念ではダイユウサクの大駆けにあって2着に敗れた。
トウカイテイオーは中山(皐月賞、有馬記念)、東京(ダービー、ジャパンカップ)と勝っているが、京都と阪神にG1勝ちがない。
平成初の三冠馬ナリタブライアンは四歳終了時点で中山(朝日杯、皐月賞、有馬記念)、東京(ダービー)、京都(菊花賞)。五歳も阪神大賞典を楽勝したが、故障発生。春シーズンを棒に振ってしまった。六歳時も宝塚記念の前に何故か中京の高松宮杯に出走し4着。結局これが最後のレースとなった。
フランスG1を制した世界的マイラータイキシャトルは京都(マイルチャンピオンシップ2回)、東京(安田記念)、中山(スプリンターズS)と勝っている。しかし阪神のG1はタイキシャトルの能力を発揮できる距離でないため出走していない。
顕彰馬以外でも惜しい例がある。タマモクロスは京都(天皇賞・春)、阪神(宝塚記念)、東京(天皇賞・秋)と勝ったが、中山の有馬記念はオグリキャップに半馬身届かなかった。マヤノトップガンは京都(菊花賞、天皇賞・春)、中山(有馬記念)、阪神(宝塚記念)を制したが、人気を落として挑んだ東京の天皇賞・秋はバブルガムフェローの僅差の2着。今にところこの2頭の例が惜しい例であろう。
延々と前例の説明に紙数を要したが、テイエムオペラーは天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念のローテーションで挑む。天皇賞かジャパンカップを勝てばグランドスラム達成だが、筆者としては達成する瞬間を見てみたいという気持ちと、簡単に達成してもらわずに、後日の楽しみに置いておきたいという気持ちが交錯している。いずれにせよこれは秋のお楽しみである。
2000年7月21日筆
1999年度の中央競馬も感動的な有馬記念を最後に幕を閉じた。1月中旬になれば恒例のJRA賞が発表される。そこで筆者も一足先に願望を含めてJRA賞を発表する。
年度代表馬 エルコンドルパサー
最優秀三歳牡馬 エイシンプレストン
最優秀三歳牝馬 ヤマカツスズラン
最優秀四歳牡馬 アドマイヤベガ
最優秀四歳牝馬 該当馬なし
最優秀五歳以上牡馬 スペシャルウィーク
エルコンドルパサー
最優秀五歳以上牝馬 メジロドーベル
最優秀短距離馬 エアジハード
最優秀父内国産馬 エアジハード
最優秀ダート馬 メイセイオペラ
最優秀障害馬 ゴッドスピード
特別賞 グラスワンダー
年度代表馬はフランスG1サンクルー大賞典を勝ち凱旋門賞2着のエルコンドルパサー、天皇賞春秋連覇及びジャパンカップ勝ち、宝塚記念及び有馬記念2着のスペシャルウィーク、そのスペシャルウィークを負かしたグラスワンダーの3頭が候補と思われる。「凱旋門賞でエルコンドルパサーに勝ったモンジューをジャパンカップで負かしたのはスペシャルウィーク。そのスペシャルウィークをグランプリで2度負かしたグラスワンダーが実力上位」という人もいるだろうが、筆者に言わせれば、それは単なる三段論法であって、遠征の不利、対戦相手を考えれば、エルコンドルパサーのフランスでの4戦の成績は他の2頭のそれに完全に凌駕していると思う。よって年度代表馬はエルコンドルパサーに決めた。同時に最優秀五歳以上牡馬も受賞。しかしスペシャルウィークも盾連覇それに史上初の天皇賞秋とJCの連覇も達成、それに有馬記念も勝ちに等しい「負け」であった。したがってスペシャルウィークも最優秀五歳以上牡馬に選出。グラスワンダーにはグランプリ3連覇を評価して特別賞を贈ることにした。
最優秀三歳牡馬は朝日杯を勝ったエイシンプレストンを選んだが、買い被りは禁物だと思う。よって該当馬なしでもかまわない。最優秀三歳牝馬は依存ないと思う。
今年の四歳クラシック戦線は皐月賞のテイエムオペラオー、ダービーのアドマイヤベガ、菊花賞のナリタトップロードの3強で推移した。よってこの3頭から選ぶのは妥当でろう。年間を通して成績を残したのはテイエムオペラオーで一流古馬相手の有馬記念で3着したほか、G2での古馬混合戦でも3着以内と安定感は3強でトップであった。しかし四歳馬が最重要目標とするダービーで勝ったアドマイヤベガを最優秀四歳馬に選出した。ダービーの格を考慮したわけだが、テイエムオペラオーは有馬記念は惜敗とはいえ負けたことにはかわりがない。とはいえクラシフィケーションではそのあたりを考慮されてアドマイヤベガと同格に評価されるだろう。
最優秀四歳牝馬は桜花賞馬プリモディーネはその後出走はなく、ウメノファイバーはオークス以降勝ち星なし、秋華賞のブゼンキャンドルは完全な人気薄での勝ち星である。G1勝ちのないスティンガーが秋の一流古馬との混合戦で善戦したが、4頭とも決め手がないため該当馬なしとした。しかし1頭選ばねばならないのなら未知の魅力でプリモディーネになろう。
最優秀五歳以上牝馬はエリザベス女王杯を勝ったメジロドーベルで依存ないだろう。
最優秀短距離馬は安田記念、マイルCSを連覇し、天皇賞(秋)も3着に好走したエアジハードで依存はないだろう。年末の香港カップの出走取消が残念である。この馬の父は天皇賞馬サクラユタカオーで最優秀父内国産馬も贈られる。
最優秀ダート馬は年末の東京大賞典を敗れたものの中央G1フェブラリーSと統一G1帝王賞を勝った、メイセイオペラに贈る。この馬は地方競馬岩手水沢所属でJRA所属馬以外のJRA賞受賞は史上初となる。
最優秀障害馬は春のグランドジャンプを勝ったメジロファラオと、暮れの大障害を勝ったゴッドスピードが候補だが、メンバーの揃った大障害を勝ったゴッドスピードを実力上位と見て選出した。
なお、スペシャルウィークとエルコンドルパサーはJRA顕彰馬に選出される。G1レース5勝のメジロドーベルは牡馬相手の戦績が物足りないことと、過去の馬と比べて古馬牝馬競走が整備されていることを考慮して保留とした。
2000年1月1日筆
平成12年度競馬番組で最も大きな変更はG1スプリント路線であろう。5月のオークスの前週に行われていた高松宮記念が桜花賞の前々週の3月末に、有馬記念の前週に行われていたスプリンターズステークスが秋の中山開催最終日にそれぞれ変更された。つまり春秋シーズンそれぞれの冒頭に1200mのG1を持ってきたというわけである。JRAは「芝の状態のいい時期に移動した」と説明するが、問題がないわけでない。
マイルの安田記念やマイルCSを目標とする馬なら、ステップレースとしてこれらのレースを使うのは問題がない。多分春シーズンは高松宮記念、京王杯SC、安田記念というのが主流のローテーションとなるだろうし、秋はスプリンターズS、スワンS、マイルCSという路線が主流になるだろう。
問題は目標のレースが終わってからである。秋に関しては、マイルCSの後の目標がなくなってしまうが、一流馬には香港ボウルという道もあるし、入着クラスのオープン馬にとってもCBC賞が「敗者復活戦」として用意されているからまだいい。
しかし春に関しては安田記念の後は、短距離混合戦は7月の函館スプリントSまでないのである。1200mを得意とするスプリンターにとっては高松宮記念を逸してしまうと、7月まで不得手の距離で戦い続けなければならないのである。もちろん一般のオープン競走の番組は筆者の手元にないので、他にどんなレースを使えるのかわからないが、それも重い斤量を覚悟しなかればならないだろう。秋のスプリンターズSからCBC賞までは中10週に対して、春の高松宮記念から函館スプリントSまでは中13週もある。せめて函館スプリントSは2週繰り上げる必要があるように思う。さらに高松宮記念は1週繰り下げて桜花賞の前週とするほうが、G1シリーズとして盛り上がるはずだ。京王杯SCまで中6週というのはいかにも開きすぎである。
再来年には新潟競馬場に1000mの直線コースができる。完成の暁にはおそらく夏季にこのコースを用いる重賞競走が新設されるだろう。そうなれば純粋なスプリンターは有力馬が休養に入る夏場を稼ぎ時として、短距離レースを集中的に使い、10月の初めのスプリンターズSで休養に入るというローテーションも取りうるのではないだろうか。
1999年12月18日筆
平成12年の競馬番組においてジャパンカップダートというレースが新設される。施行時期はジャパンカップの前日、つまり初めて土曜日に開催される平地G1レースとなる。このレースは東京2100mのダートコースで行われ、ジャパンカップと同じ国際招待レースである。これに加えて地方競馬からも招待されるか、または出走枠が設けられることになるだろう。JRAがこうしたダートG1を新設する背景には、好景気に沸くアメリカが元々ダート中心であって、近年芝レースへの関心が薄れてきて、ジャパンカップへアメリカからの一流馬の挑戦が少なくなっていることがまず挙げられるが、なんといっても砂漠のアラブで開催されているドバイワールドカップが世界最高賞金レースとして定着したことが大きな刺激となったのだろう。それにJRAにおいても星の名前を冠したダートの重賞が増加し、賞金を狙って不適正な芝に出走することはなくなった。加えて日本におけるもうひとつの競馬組織、地方競馬との交流が促進されたことが、基本的にダート競馬しかない地方競馬の馬とJRA所属馬との実力が比較しやすくなり、地方所属馬にとってもよい刺激になっているのだろう。アブクマポーロ、メイセイオペラといった馬はそうした背景から出現したと言っても過言ではないだろう。地方所属馬にとってはこのダートG1の新設は朗報となろう。
ところでジャパンカップダートといういささか芸のないレース名に疑問を感じた人も多かろうと思われる。筆者はこの名称にこそJRAの狙いが隠されているように思う。つまりこれは日本版「ブリーダーズカップ」の一環であるということだ。
今年フロリダで行われたブリーダーズカップは以下の8レースが行われた。
1.ディスタフ 四歳以上牝馬 ダート9F
2.ジュヴェナイル・フィリーズ 三歳牝馬 ダート8.5F
3.マイル 四歳以上 芝8F
4.スプリント 四歳以上 ダート6F
5.フィリー&メアターフ 四歳以上牝馬 芝11F
6.ジュヴェナイル 三歳牡馬 ダート8.5F
7.ターフ 四歳以上 芝12F
8.クラシック 四歳以上 ダート10F
ブリーダーズカップはこれらのレースを連続して1日で終えてしまうというところに特徴がある。だから馬の体調に応じて出走するレースを変えるということはできないことはない。日本は馬券の売り上げを無視できないから、G1レースはなるべく分散したほうがいい。その妥協点がジャパンカップダートをジャパンカップ(ターフ?)の前日に開催するという方法をとったのではあるまいか。さらに前週に京都でマイルチャンピオンシップ、その前々週にはエリザベス女王杯が開催されている。これらはいずれも現時点で国際レースで外国馬の出走には多少制限があるものの問題ない。つまり3週間に渡ってブリーダーズカップにおけるフィリー&メアターフ、マイル、クラシック、ターフが行われるということになる。
JRAの本当の狙いは筆者の予想とは違うところにあるのかもしれない。それにブリーダーズカップを捨てて、長期に渡って日本に遠征してくる馬も多いとは思えない。しかし日本の競馬が限定された国際化からさらに広がっていく可能性があることは否定できないであろう。
1999年12月18日筆
過日発表された平成12年度のJRA競馬番組において、春のグランプリ宝塚記念の約2週繰り上がって6月下旬に行われることになった。英国で行われている四歳と古馬との春季の混合戦「キングジョージVI&クイーンエリザベスS」の日本版を目指すという意気込みで、平成8年度に現在の7月中旬に変わったわけだが、僅か4年で再変更である。「名馬が勝っても名勝負はない」「その時代の名馬は勝てない」と言われ、同じグランプリでも有馬記念に知名度、権威ともに劣る宝塚記念について今回は考えてみる。
まずはじめにこれまでの宝塚記念を簡単に振り返ってみよう。宝塚記念は関西にも有馬記念と同じようなファン投票によるビッグレースをということで、昭和35年に創設された。距離、施行時期に変遷があるが、昭和43年の第9回から原則としてダービーの翌週に行われることになった。昭和59年のグレード制導入に際してはG1にランクされ、やがて賞金も有馬記念と同額にされた。
昭和62年からは四歳馬にも解放され、開催時期も1週繰り下げられた。しかしダービーから中1週ではクラシック路線の馬の出走は難しく、それ以外の四歳馬でもニュージーランドトロフィーあるいはラジオたんぱ杯などの安全路線に進むことが多かった。グレード制導入以降は、宝塚記念は長距離の天皇賞組とマイルの安田記念組が対決する中距離のビッグレースとの位置づけであって、四歳馬の出走はその数は少なくしかも勝ち負けできるような馬は出走してこなかった。四歳馬の斤量は53キロで五歳馬とは3キロ、六歳馬とは4キロの差があったにも関わらずである。古馬にしてもあくまで天皇賞なり安田記念が目標であり、陣営としては「休養前のひと稼ぎ」として「宝塚記念も走ってみるか」という認識であったと思われる。
そこでJRAは平成8年、7月中旬に開催されていた高松宮杯の時期に宝塚記念を繰り下げ、本格的に四歳、古馬の対決を促した。古馬の斤量が58キロに対して四歳の斤量が53キロと5キロの差をつけたのもその現れであろう。しかしこれでも有力四歳馬の参戦はほとんどなく、古馬陣の出走意欲の向上も促せなかった。それどころか夏の休養の時期に開催されるので古馬陣からも評判が悪かった。その後もJRAは国際レースに指定したり、昨年は宝塚記念専用のファンファーレを募集したり、努力を続けたもののさほどの成果は見られなかった。
そして平成12年の番組改定となったわけだが、天皇賞からは中7週、NHKマイルカップからは中6週、安田記念からは中2週、そしてダービーからも中3週とどの路線からも出走可能になった。特に間隔が短縮された天皇賞組には朗報であろう。
さてこのように改定された宝塚記念であるが、JRAが企図するような、春シーズンでの一流四歳馬と古馬の対決が見られるかと言えば、筆者はまだ時間がかかると思うのである。まずダービー馬の出走は難しいだろう。どんなに宝塚記念が頑張ってもダービーの権威を上回ることはあり得ないと思う。よほど陣営に意欲がなければ休養して秋に備えるのが当然であるからだ。可能性があるのはマイルカップ組であろう。マイルカップは春のG1シリーズの中盤に開催されるので、もう1レース使う余地があるからで、それが安田記念か宝塚記念かの選択となろう。ダービーは外国産馬に開放されるが当分は出走枠が設けられるだろう。その選に漏れた馬が中距離に適正があれば、高額賞金を狙って宝塚記念を選ぶ可能性はあるだろう。そしてこのようにマイルカップから宝塚記念へと向かう路線が確立され、それらの馬が好成績を上げるようだと、宝塚記念の権威も増して、ダービー馬の参戦もあり得ない話ではなくなってくると思う。
1999年12月18日筆
先日平成12年度のJRA競馬番組が発表された。大幅に変更されたGI路線については後日改めて述べるとして、今回は重賞グレードの格下げについて述べたい。
今回の競馬番組の特徴のひとつとして、グレード制がはじまって以来初めて重賞競走のグレードの格下げが行われたことが挙げられる。具体的にはこれまで菊花賞トライアルとして行われていた京都新聞杯(GII)がダービー最終便の京都四歳特別に開催時期が変更の上、GIIIに格下げされ、京都四歳特別は廃止された。もうひとつは宝塚記念の前哨戦として行われた鳴尾記念(GII)が暮れの阪神開催に戻され、ハンデ戦となってGIIIに格下げされたのである。何十年か前の「優駿」誌上でJRAの理事が「重賞競走の格下げを含むグレードの見直しを行いたい」といった趣旨の発言をされていたが、今回はじめて実現したわけである。
しかし筆者が考えるに、格下げしてもいい重賞競走はまだあると思うのである。それは以下の通りである。
・目黒記念
・アルゼンチン共和国杯
・デイリー杯三歳ステークス
・京王杯三歳S
このうち目黒記念は歴史ある競走であり、また設立当初からハンディキャップ競走であったことだし、たとえ一流馬の参戦がないといっても、格下げはしなくともよいと考えられるが、それ以外の3競走に関しては即刻GIIIに格下げしても差し支えないと思う。
アルゼンチン共和国杯は設立当初においては天皇賞・春への関東地区でのステップレースとしての歴史があったが、現状は天皇賞・秋とジャパンカップの中間に位置するハンデキャップレースであって、一流馬の参戦はほとんどない。去年、グラスワンダーの参戦があったが、これは外国産馬で天皇賞・秋に出走できないがための苦肉の策であろう。格下げできない理由としては「アルゼンチン」という国名が冠されているために、その国の感情を害することを恐れているのであろう。しかし我が国とアルゼンチンとは現在それほど活発な競馬交流があるとは思えない。そういった背景を説明すれば理解を得られるのではないだろうか。
デイリー杯三歳ステークスと京王杯三歳ステークスがGIIに指定されているのは、それぞれ阪神三歳牝馬ステークス及び朝日杯三歳ステークスというGI競走の前哨戦として位置づけられているからであろうが、競走条件、賞金面、過去の勝ち馬などを考えても、GIIIに設定されている札幌三歳ステークス等に比べても格上とは思えない。単にG1競走の前にあるからと言ってGIIに指定するのはあまりにも官僚的といわざるを得ない。
1999/11/20筆
今年の天皇賞・秋がすぐそこまで迫った。天皇賞・秋といえばもはや定着化した法則がある。それは「1番人気馬が勝てない」というものである。2000mに短縮された1984年以降で15回のうち1番人気で勝ったのは84年のミスターシービーと87年のニッポーテイオーのみ。
敗れた1番人気馬を簡単に振り返ってみると、85年の皇帝シンボリルドルフは条件馬ギャロップダイナの強襲に逢い2着。86年の二冠馬ミホシンザンは快速馬サクラユタカオーを捉えきれず3着。88年のオグリキャップはタマモクロスにG1競走3連勝を許し2着。89年はまたもオグリキャップだったが直線で詰まる不利もあってスーパークリークの2着。翌90年もまたまたオグリキャップだったが調整不足もあってヤエノムテキの6着に敗れた。91年のメジロマックイーンはプレクラスニー以下に5馬身差をつけて1位入線したが、進路妨害で18着に降着した。92年のトウカイテイオーは調整不足でレッツゴーターキンの7着に完敗。93年は直前のメジロマックイーンの引退表明によって押し出されるように推されたライスシャワーであったが、マークする馬が不在のためかヤマニンゼファーとセイキテイリューオーの叩き合いを6着の後方から見るにとどまった。94年のビワハヤヒデはよもや負けまいと思われたがレース中に屈腱炎を発症しネーハイシーザーの5着に敗れ引退。95年は四冠馬ナリタブライアンは久々のレースで闘志に火がつかずサクラチトセオーの12着に惨敗した。96年のサクラローレルは馬群に包まれる不利もあって3着となり、バブルガムフェローの四歳馬による天皇賞制覇を許した。97年はそのバブルガムフェローが推されたのだが、牝馬のエアグルーヴに競り落とされて2着。そして98年は超速特急サイレンススズカが直線を迎えることなく故障発生し安楽死処分された。
ずいぶんと長くなったが、こうも1番人気馬の勝率が悪いと、ジンクスというものではなく何か科学的な理由があるのではと思いたくなる。
これらの1番人気馬の敗因を分析してみると次のようになる。
1.実績馬で久々あるいは調子落ち
シンボリルドルフ、ミホシンザン、オグリキャップ(90年)、ナリタブライアン
ライスシャワー、トウカイテイオー
2.騎乗ミス
オグリキャップ(89年)、メジロマックイーン、サクラローレル、バブルガムフェロー
3.故障発生
ビワハヤヒデ、サイレンススズカ
4.経験不足
オグリキャップ(88年)
1の敗因は比較的簡単であろう。つまり実績で人気に推されたものの勝てる状態に仕上がっていない場合である。その証拠としてここで挙げた6頭のうちナリタブライアンを除く5頭がその後G1を勝っているのだ。こういう馬の1番人気は疑っていいだろう。
2の騎乗ミスの内容を具体的に検証する。オグリキャップの南井は直線のスパートをかけるところでヤエノムテキにカットされた。メジロマックイーンの武豊はスタート時外枠から内に斜行したのが降着の原因だった。サクラローレルの横山典は外枠からのスタートだったにも関わらず、コースロスを恐れてインコースを選んだために直線で包まれてスパートをかけられなかった。バブルガムフェローの岡部は相手はエアグルーヴとみて早めに仕掛けたのが末脚が甘くなってしまった。騎乗ミスなど予想できないと言われるかもしれないが、この4頭の共通項を探ってみると、「G1勝ちがあって、前走を快勝している」という点である。実績と好調。この2点が兼ね備えれば、普通は誰もが負けないと考えるだろう。しかし「1番人気は勝てない」というジンクスそのものが、これら名騎手にプレッシャーを与え、なるべくロスの少ないインコースを走らせようとしたり、仕掛けが早くなったりするのだろう。
3の故障発生こそ予見しようがなさそうだが、この2頭に共通しているのは年内負けなしの上にレコードタイムを叩き出すような快速馬である点だ。つまり酷使による故障という解釈をするべきなのだろう。
4の経験不足だが、この時のオグリキャップは四歳。いつもは後方で待機するタマモクロスが先行したために、オグリキャップの河内騎手はベストポジションで競馬したのに届かなかった。この場合はタマモクロスの能力と南井騎手のナイスプレーに脱帽するしかないだろう。初の古馬混合G1でタマモクロスに迫ったことを評価するべきだろう。
さて今年の天皇賞・秋はどうなのだろう。1に当てはまるのはスペシャルウィーク、2はセイウンスカイ、3は該当馬なし、4はスティンガー。いやスティンガーは1番人気にならないから当てはまらないのか・・・・。いやはや当てはまらない馬の方が多いとは困ったことである。
1999/10/30筆
西暦2000年つまり来年に向けて、JRAでは競馬番組の改定作業が進行中である。外国馬の出走制限の緩和が主な目的であるが、G1競走についても、ダービーが5月上旬、高松宮記念が3月といった具合に大幅な日程変更され、変わらないのは天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念だけだと噂されている。
筆者はこの改定の話題を聞いたとき、「JRAは何を考えているのか」と耳を疑い、即座に反対を表明した。重賞競走は英語でpatern raceといい、1年に1度、同じ競馬場、同じ距離、同じ条件で行われるのが原則である。ましてその中でも最も格上のG1競走の日程変更するとは言語道断と思ったのである。
しかし冷静に考えてみると、現在の競走体系は馬の能力を最大限に生かすようにはなっていないことに気づいた。例えば三冠馬とは2000mの皐月賞、2400mのダービー、3000mの菊花賞を勝った馬に与えられる称号だが、中距離から長距離まですべてこなす馬が「最優秀」とされるわけである。これは多分に競馬は軍馬の育成というところから始まったことに起因すると思うのだが、いまやタイキシャトルのようにマイルのG1だけで顕彰馬になれる時代、つまり馬の得意距離のレースを使うスペシャリストが評価されるようになったのだ。番組改定の本当のねらいはどこにあるのかは知らないが、とにかく1200m、1600m、2000m、2400m、3000mの各距離とダートと障害でのG1競走の再編成に目的があるのなら、今回の番組改定は「条件付き賛成」としたい。
ところで筆者は6年ほど前にネット上で「菊花賞の古馬解放」を提案したことがある。ひとりだけレスをつけてくれた人がいて、彼は「今やイギリス伝統のクラシック体系を維持しているのは日本だけ。世界の中でひとつくらいそんな国があってもいいでしょう。」と反対意見を述べた。彼の意見にも一理あるが、いずれJRAは外国産馬だけでなく、外国での出走経験のある外国産馬のG1競走出走を認めざるを得なくなるだろう。そうなったときに世界の趨勢を無視して、現状のクラシック体系を維持できるであろうか。
やはり菊花賞は古馬解放すべきではないだろうか。日程的にはジャパンカップの1週前にすれば、陣営はどちらか得意な距離を選択するであろうが、日本人の一般的な名馬の尺度は、強力なメンバーにおける対戦成績よりも、たとえ弱いメンバーでもG1勝ちという勲章の数を評価する傾向にある。つまり強力なメンバーになるジャパンカップへの挑戦を避けて、菊花賞に挑むことになると思われる。これを避けるためには菊花賞も外国馬に解放する必要があるだろう。
現状はジャパンカップは国際招待競走として、いささかお祭り的色彩があるが、外国馬に解放となれば、単に「秋に行われる2400mG1競走」といった認識になるだろう。どうせ思い切った改定をするならこれくらいのことはやるべきだろう。
1999/8/29筆
スペシャルウィークか、グラスワンダーか、2強対決といわれた第40回宝塚記念はグラスワンダーの圧勝に終わった。配当を見てみると、グラスワンダーの単勝が280円であるが、単勝オッズが1.5倍だったスペシャルウィークとの枠番連勝が180円、馬番連勝でも200円と単勝馬券よりも低配当となっている。
本来なら1着馬だけを当てる単勝馬券よりも1着馬2着馬を当てなければならない連勝馬券の方が、配当がいいはずなのに逆転してしまったのは、現状の連勝馬券が1着2着が入れ替わってもいい複式馬券を採用しているからである。
そこで連勝単式馬券の復活を提案したい。ただすべてのレースに適用するのでなく、頭数が8頭、つまり枠番連勝のみ発売しているレースのみに限定するのである。これならばJRAとしても少頭数となっても配当の妙味がでるので売り上げを確保できるし、何といっても今回の宝塚記念のようにマッチレースになってもゴール前の盛り上がりも違うはずである。射幸心を煽るという批判に対しても少頭数に限定するということでかわせるだろう。
かつて中央競馬では連勝単式馬券が存在した。しかし的中率が低いのと、当時は馬券の組み合わせごとに窓口に並ぶというシステムだったので混雑解消のために連勝複式馬券に統一されたのだ。現状はマークシートなのでこの問題は簡単にクリアできるだろう。
今年秋からは配当が下がるが的中率が高い拡大馬番連勝いわゆるワイド馬券が登場する。JRAとしてはリサーチの結果、この馬券を導入することにしたのだが、ある程度射幸心を煽った方が売り上げがあがるのはギャンブルの常識である。
1999/8/1筆
例年、宝塚記念が終わると有力馬は休養となり、そうでない馬はローカル開催で賞金を稼ぐ季節となる。秋華賞までの14週間はG1レースの空白期間となり、一般の人は競馬から関心が薄れてしまう。
そこで8月の札幌で開催されている札幌記念をG1に格上げすることを提案したい。それも北海道の馬産を奨励するために、内国産馬限定とするのである。
具体的には以下に示す。
1.距離は芝2000mとする。
2.負担重量は四歳53kg、五歳以上58kg、牝馬2kg減とする。
3.母馬が内国産馬のみ出走できる。
4.出走馬多寡の場合は収得賞金順とするが、同額の場合は父内国産馬が優先出走権を得る。
特に3で輸入繁殖牝馬に門戸を閉ざし、4で内国産種牡馬を奨励したことが目新しい点である。馬産地に近い札幌で開催されることで生産者の注目が集まるであろうし、夏競馬に冷淡だったがマスコミも軽視できなくなるだろう。
近年、エアグルーヴが札幌記念から天皇賞・秋というローテーションで成功している。そもそも一般のレースは2000m以下の距離が圧倒的に多く、この距離で強い馬を輩出することが繁殖馬の指標と言えなくもない。そういう意味からは天皇賞・秋以外に2000mの古馬G1があったほうがいいと思う。さらに夏場に強い牝馬にとっても大きな目標となるだろう。
ただし、こうした内国産限定のG1を新たに創設することは、海外の関係者から批判を招くであろうから、クラシックはともかく天皇賞、有馬記念の外国馬の出走は認めざるを得ないであろう。
またレース名も「札幌記念」でなく、何か日本的な伝統を感じさせる名前に改称した方がいいだろう。
1999/6/12筆
春の天皇賞もあと2日に迫った。スペシャルウィーク、セイウンスカイ、メジロブライトの3強で決まるのか、それに割って入る伏兵馬がいるのか、興味津々である。
ところで筆者は前回のコラムで五大クラシックの外国産馬への解放反対を主張していたわけだが、天皇賞は開放してもいいと思う。ただし、筆者が考えるのは秋の天皇賞のみの解放である。それは外国産馬にとってジャパンカップへのステップレースとして最有力候補となるだろう。
ちょうど近々東京競馬場の大改修が行われ、現状の2000mコースも大幅に変更される。同じレース名を名乗りながら、春と秋ではコースも距離もまったく違うという天皇賞に矛盾を感じている人は筆者だけだろうか。秋の天皇賞の距離を3200mから短縮した際、競馬会は「皇后賞」への名称変更を検討したが、関東の馬主から猛反対にあって結局、天皇賞の名前が残ることになったと聞く。
それなら、大改修を機に外国産馬に開放して名前も「天皇杯(英名:エンパイアーズカップ)」にするのはどうだろうか。そして春の天皇賞はこのまま内国産馬のみの出走可とするのである。そもそも天皇賞は3200mの長距離における優秀な種牡馬(繁殖馬)を選抜するためのレースである。天皇賞を名乗るのは、その路線を継承している春が相応しいと思う。
今年の障害競走の番組改定において、春の中山大障害が「中山グランドジャンプ」と改称されたが、暮れは中山大障害の名前が残された。春は国際競走にするための変更と聞くが、これと同じ手法を天皇賞にも適用するわけである。
1999/4/30筆
桜花賞も終わり皐月賞を前にして春のクラシックシーズンが今年も始まった。
JRAでは「外国産馬出走制限緩和計画」として、逐次外国産馬の出走制限の緩和を進めてきたが、四歳五大クラシックレース(桜花賞、皐月賞、オークス、ダービー、菊花賞)とそのトライアルレース、および天皇賞については平成11年度までは開放しないことを決定している。いいかえれば来年度つまり平成12年度には開放する可能性があるということになる。
筆者の考えとしてはクラシックレースは海外の出走経験の有無に関わらずすべての外国産馬に対して開放には反対である。理由としては日本国内の生産者に夢と希望をなくすことになるからである。競馬が競輪、競艇等の他の公営ギャンブルと大きく違うところは、馬という動物が介在するためにそこに神秘的なロマンを感じられるからだと思う。特に名馬の子が走るというのはその最たるものではなかろうか。
その名馬が生産界で貢献するためには、その活躍の機会が与えられなくては、現状でも外国産種牡馬におされている内国産種牡馬の価値を下げるという悪循環に陥ってしまう。すでに割高な内国産馬の購入せず、外国産馬購入に走る大馬主が増えており、彼らはもちろん、解放となればダービーを目指すに違いない。馬主経済の効率を考えればそれは正しい選択だからである。
さらに外国産馬が出走するレースというのは、外国人選手ばかりで構成されたプロ野球チームのようで親近感が感じられない。強い馬作りのためには制限を取り払うべきだという意見には賛成するが、五大クラシックレースくらいは頑固に守り通してもいいのではないだろうか。
1999/4/15筆
レース名ネタをもう一つ。
阪神競馬場において、桜花賞のトライアルレースとして「報知杯四歳牝馬特別」という重賞競走がある。このレースは普通、スポンサーを省略して「四歳牝馬特別」と呼ばれる。その約2ヶ月後、今度は東京競馬場において、オークストライアルとして「サンスポ賞四歳牝馬特別」というレースがある。このレースも「四歳牝馬特別」と呼ばれる。そのためそれぞれ「桜花賞トライアル」「オークストライアル」と前付けして区別している。
そもそも「四歳牝馬特別」などというまるで特別競走のような名前にも問題があるのだが、似たような性格のレースが同じような時期に、同じ名前のレースがあることに筆者は疑問を感じているわけである。昭和57年までは「報知杯四歳牝馬特別」は「阪神四歳牝馬特別」と呼ばれていた。この時はまだ辛うじて区別が可能であったのに、「報知杯」をつけたために「阪神」が削られてしまったのである。どうしてこんな改悪をしてしまったのだろう。
金杯も同じような問題があったが、関東を「中山金杯」、関西を「京都金杯」と名称変更されスッキリした。競馬の国際化が進むなか、三歳、四歳という日本特有の数え歳による馬齢表現がレース名で使われるというのも問題があろう。
ここは桜花賞トライアルの方は花の名前、たとえば「アイリスS」とか「デージーS」にし、オークストライアルは木の名前、「プラタナスS」という風にするのはどうだろう。
でも自分で書いた例はオープン特別のようで出来が悪い。名前を考えるのは読者にお任せしたい。
1999/4/4筆
ナリタブライアンが天国に旅立ってから約半年を迎えようとしている。過去のどの三冠馬よりも強い勝ち方をしたナリタブライアンの名を永久に残したいと思うのは、筆者だけではないだろう。そこで筆者は「スプリングステークス」を「ナリタブライアン記念」に改称することを提案する。
皐月賞トライアルのスプリングSを改称することについては現に彼が勝ったレースであるし、秋の「セントライト記念」が菊花賞のトライアルレースに指定されていることからも、釣り合いがとれると思う。これを改称することは競馬新聞においてレース名を短縮表記する際に、G1「スプリンターズS」と混同しないようにするという苦労もなくなる。いまはどちらも3文字で表すと「スプS」なのだから。
あとは「ナリタ」という山路オーナーの冠号について問題がありそうだ。これについて筆者の意見を述べておこう。結論としては問題なしである。「シンボリルドルフ」「ミスターシービー」がレース名に使えない理由として、冠号が使われているからという意見をよく耳にする。しかし「共同通信杯四歳ステークス(トキノミノル記念)」はどうだろうか。「トキノ」は当時永井オーナーの冠号であり、括弧付きながら冠号をレース名に使われてた例はあるのである。それに前記2頭の「シンボリ」「シービー」はそれぞれ「シンボリ牧場」「千明牧場」から由来しており、これを冠号として使用することはその生産牧場の宣伝とみられても仕方がないかもしれない。しかし「ナリタ」は単にオーナーの近所にある成田不動尊から由来しており、宣伝目的ではないことは明らかである。
なお冠号でどうしても問題があるのなら、共同通信杯に準拠して「フジテレビ賞(ナリタブライアン記念)」というのもいいだろう。
1999/4/2筆